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口裂け女に学ぶ都市伝説


口裂け女に学ぶ都市伝説



都市伝説とは、現代神話、あるいは不確かな噂話である。

友達の友達や、誰かから回された手紙で流行った都市内の怪談・噂。
人から人へ伝わる度、彼らは姿形を大きく変えてしまう。


私の好きな都市伝説に「口裂け女」というものがある。
ご存知の方も多いのではないでしょうか?

夕方、一人で歩いていると、マスクをつけた女に声を掛けられる。
私、綺麗?
マスクをつけていてはわからない。深く考えずに「綺麗です」と言うと、女はマスクを外して再び問う。
これでも綺麗?
女の口は耳のあたりまで裂けていた。


場合によっては、この後「綺麗」と答えられなかったために、手にしていた鎌で惨殺される、という落ちがつく。
回避方法は地域によって様々で、メジャーな所はべっこう飴、もしくはポマードだろう。
べっこう飴は好物らしく夢中になってしまい、その隙に逃げるのだ。
ポマードは男性用の整髪料であり、口裂け女は整形手術の失敗の原因とされるこの匂いが苦手で逃げていく、というのだ。

これらを考察してみましょう。

まず、べっこう飴。
これは恐怖から身を守るための方法。俗に言う「対抗神話」と呼ばれるものだと思われます。
対抗神話とは、ウイルスに対するワクチンのようなもの。これさえあればもう安心だ、という心の拠り所であり切り札です。

類話として「紫の鏡」に対する「白い水晶」というものがあります。これは、二十歳までに忘れていないと不幸になるという紫の鏡に対して、白い水晶を一緒に覚えていると不幸にならない、というわかりやすい一例ですね。

べっこう飴自体は最近ではあまり見られなくなりましたね。祭りの夜店で偶に見かける程度でしょうか?
私はあまり好きではありませんね、砂糖の塊みたいで。見る分には琥珀色で綺麗なんですけど。
これはおそらく、人の口から噂が流布されていく間で生まれたのでしょう。口裂け女を恐れる少年少女の願いによって生み出された希望の形です。


ポマードの場合は、べっこう飴とは少し事情が違ってきます。
なぜなら、ポマード自体が口裂け女の過去に深く関わっているからです。

口裂け女は、整形手術に失敗した女。手術中に、執刀医の頭につけられたポマードが臭すぎて、顔を逸らしたらメスの当たり所が狂ってしまい、口がさけてしまった。
そのトラウマから、口裂け女はポマードが苦手になったというのです。

ちなみにポマードは割りと臭いです。私の実家は床屋さんだったのでよく知っていますが、最近ではヘアワックスやムースの方が普及していて、使用率も知名度も断然高いでしょう。

この噂の流行ったころ、整形手術は黎明期でした。特に美容整形に関しては否定的な意見が多かったようです。
つまり、この噂自体が整形手術に対する非難・警告を発していたということです。
もっとも、顔を手術するのに麻酔無し、なんてことありえません。荒唐無稽な都市伝説らしい設定ですね。

他にも様々な「追加設定」が存在しています。
実は三姉妹である。マッハの速度で走る。大人と一緒なら襲われない。綺麗と答えても結局殺される。

地域性によって姿を変える都市伝説ですが、これほど多様な変化を遂げる伝説も珍しいでしょう。バリエーションだけなら、おそらく「花子さん」に次ぐ数です。




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友達の友達

友達の友達 という言葉をご存知だろうか?

この言葉は「都市伝説」を語るうえでは欠かせない重要な単語。

想像してみてもらえれば、わかりやすいかもしれない。あなたの友達の、そのまた友達。その顔をあなたは知らない。どんなひととなりなのか、知る術はあなたの友達の口から出る情報だけ。

人の口から紡がれる「情報」は驚くほど簡単に変容する。伝言ゲームをするとそれがよく判るだろう。
それと同じく、友達の友達もあっさりと姿形を変えてしまう。もちろん、あなた自身の中でだけ。


「友達の友達が言ってたんだけどね……」


古いタイプの都市伝説では、こういった語り口から始まる話も多い。
近いようで、意外と遠い立ち位置にある存在、友達の友達。それが語ったとされる噂話。リアルとフィクションの混じったその噂は、真偽はさておいて、どんどん形を変えていく。

1990年代。つまり、まだネットも携帯も普及していなかったころ。情報源といったら、もっぱら口頭の会話だった時代では、直接的な情報のやり取りが行われていた。友達とのお喋りで広がっていく噂話は、聞く人によってそれぞれ脳内で、全く別の姿形を持つことになる。これが都市伝説の流行った理由なのでしょう。


スコーピオン



今回はライトノベルです。タイトルは「スコーピオン」。作者は諸口正巳先生です。

割りと古い作品で、今はなきZIGZAG NOVELSから出版されました。
私が初めて読んだラノベです。
あらすじとしては、人の恐怖によって実体化した「人を脅かす都市伝説」を殺す伝説である「黒いコートの男たち」の物語です。
女っ気は殆どありません。野郎ばっかりの、血と臓物まみれのお話です。
都市伝説というだけで私はこの本を書店で手に取りました。そしてはまりました。

主人公の相馬は普通の高校生。センター試験の帰り、殺人鬼の噂が流れる場所を通り、そして都市伝説に襲われてしまいます。
殺されかけた相馬は、黒いコートを纏った狩人のモーリに救われます。その後、狩人の才能があると認められて「死者の糸」と呼ばれる狩人の詰所に通うことになります。

設定が大変面白い。人を殺す伝説を、伝説を殺す伝説で始末する、という、目には目を精神。メン・イン・ブラックがモチーフなのでしょうね。

狩人に与えられる「黒衣」には、信じたことを現実にする力があります。伝説が実体化する原因もこの信じる力なのですが、殺すためにも信じる必要があり、切っても切れない関係なのです。

狩人は強制ではなく自由意志で、相馬はソーマと名乗り、バイト感覚で闇を狩っていきます。
相棒のモーリはヤクザでローンシャーク。眼つきと口が悪い童顔の青年で乱暴者だが、忘恩の徒ではない。案外義理堅い性格です。
死者の糸の店主は人外の女性で、何でも知っているけれど、聞かない限り答えてくれない。これがギミックになっていて、主人公は大きな苦悩を背負うことになります。終盤の展開は割りと鬱々としていますが、続編では――。

とりあえず血と臓物が沢山出てきますが、そこまでグロテスクではありません。案外描写はあっさり目。少なくとも、この作者の作品としては控えめです。
今では絶版なのが大変残念。続編に「アンタレス」と「フェイスレス」が。別次元の狩人の物語であり本流である「クロカマキリ」があります。
手に入れるのは難しいですが、見かけたら手にとって見ることをおすすめします。

もともと、まだデビューする前の諸口先生が、自サイトでクロカマキリというWebノベルを発表していて、これがZIGZAG NOVELSの小説大賞で一位を取ったことを切っ掛けに商業誌デビューされました。
クロカマキリ自体は諸口先生のサイト(超絶渋系狂気都市)で現在も閲覧可能です。検索すればすぐ見つかるでしょう。
渋いおっさんが大活躍しているので、おっさん好きはどうぞ。


ちなみに諸口先生がAmazonで電子書籍としてスコーピオンを復刊されました。こちらはある程度加筆修正が加えられているらしいので、早速読もうと思います。


7つまでは神の内

つまではのうち」とは、一種の隠語である。


この言葉をわかりやすく理解するにはうってつけな「通りゃんせ」という唄がある。
そこではこう歌われている。



通りゃんせ 通りゃんせ

ここはどこの細道じゃ

天神さまの細道じゃ

ちょっと通して下さんしぇ

御用のないもの通しゃせぬ

この子の七つのお祝いに お札を納めにまいります

行きはよいよい 帰りはこわい

こわいながらも

通りゃんせ 通りゃんせ



↑の唄は有名なので誰しも耳にしたことがあると思います。わらべ唄と呼ばれる古い唄であり、作詞は「シャボン玉」で有名な詞家、野口雨情と言われているが、正確なところは不明。江戸時代に成立した、という説もあるそうです。

この唄では「この子の七つのお祝いに」と歌われている。

なぜ、七つ?

七というと、昔から縁起が良い数字として扱われている。俗に言うラッキーセブンである。スロットの大当たりも七である。セブンスター……は関係ないのかな?


七つがなぜお祝いなのか。

現在の日本などの経済大国では、高い医療技術と制度が敷かれ、子供の死亡率が大幅に下がっている。
だが、昔は違った。子供は体も弱く、栄養状況などによっては直ぐに体調を崩して死んでしまう。
七つというのは、子供が子供では無くなる年齢を指している。この年まで育てば、もう大丈夫。そんな意味合いなのである。

七つまでは神の内。つまり、七歳以前の子供は神なのである。
神の内というのはそのまんまの神さまというわけではなく、この世のものでもあの世のものでもない、あやふやで不確かな存在という意味をもたせているようだ。
七歳までの子供は神さまの持ち物だから、死んでしまっても悲しんではいけない。あちらに帰っただけなのだから。という慰めも含まれている。

だが、もう一つ怖ろしい考えも隠されている。

それは間引きです。

食糧事情が豊かで、餓死が殆ど撲滅された現代日本。その昔は凶作の度に人が餓死に、子供なんて育てている余裕は無かったろう。避妊技術も未熟だったせいもあり、生まれた子供を育てる余裕が無い場合は間引いてしまうこともあった。

幼児は神さまのもの、だからそちらにお返ししてしまう。そういう意味も含まれている。

ちなみに、「お札を納めにまいります」とは、お守りを神社に返すという意味である。
お守りに有効期限が存在するということをご存知でしょうか? 役目を終えたお守りは神社に納めなくてはいけないのです。
このお守りは、おそらく「ヒトガタ」なのでしょう。ヒトガタとは、読んで字の如し、人の身代わりのための人形。
ヒトガタは、もともと紙製の簡素なものから始まったとされています。それがだんだん立体的になり、ワタや藁で形を与えられ、人形になったと言われています。

ヒトガタを神社=神さまに返す、ということは、つまり子供は確かに人間になった、という意味合いなのです。

人形を粗末に扱うな、という教えも、そういった身代わり呪術が背景にあるからなのでしょう。

ちなみに私は人形があまり好きではありません。特に和風人形とかリアル志向のものほど苦手です。
あれは多分、眼のせいでしょうね……。

人形に限らず、もともと呪術的な道具が子供の玩具になった、というケースは他にもあります。

例えば「お面」。お祭りなんかでプラスチック製のヒーローやヒロインの形をとったものが得られていますよね?
あれももともとは能や神楽で用いる「神や鬼の顔を象った」もの、トランス状態に至るために用いるペルソナです。

身代わりのための呪具や神を象った面が、子供の玩具になる。そう考えると不思議なものですね。


死神の精度


今回はこちら。





伊坂幸太郎著 死神の精度です。

エンタメ作家としてはかなり有名な伊坂先生が綴る、軽妙な文体でユーモラスに描かれる死神のお話です。
今作は連作短編集といった体裁。死神「千葉」が対象の人間の生死の是非を見極めるために関わっていく、というストーリー。

ちなみに「死神の精度」とは第一話にあたる短編のタイトルです。全六話構成で、直接的な繋がりがあるのは第一話と最終話にあたる「死神対老女」のみ。

死神は、対象となる人物の生死を一週間という短い期間で決定するという職務をもっています。
死神が「可」とすると、その人間は何らかの要因で死亡。「見送り」とすると、その人間は天寿を全うすることになります。
主人公の千葉は一週間の調査期間、対象となる人物と交流し、観察し、決定を下します。

死神の設定がちょっと変わっていて、タロットカードに連想される、黒いローブで大鎌を持つようなタイプではありません。袴に日本刀の某死神漫画でもありません。
見た目は普通の人間となんらかわりなく、主人公の千葉を含め、死神の名前は県名や市町村名からとられています。
千葉を含め、死神は音楽好き。千葉は暇があればCDショップに入り浸り、音楽を聴いて楽しんでいます。

千葉は雨男。
彼が働くといつも雨が降る。そのせいで、これまで青空を見たことが無い。そんな彼と最終話を象徴するかのように表紙は青地に傘です。

千葉はクールなのにどこと無くのほほんとしていて、不思議な雰囲気の持ち主。容姿は話によってガラリと変わりますが、素の性格は変わりません。
不思議な死神の魅力がつまったこの本、雨上がりに読んでみては?

また、伊坂先生の作品はお遊び要素が多く、今作の主人公である千葉は他の作品にもちょこちょこ登場していたりします。

続編の「死神の浮力」が2013年に発表されています。こちらは長編のようですが、残念ながらまだ読めていません。

2008年には金城武主演で映画化されています。小説を読むのが面倒という人はこちらもおすすめ。原作と少しだけ設定が異なり、相棒的な存在の犬が追加されていますがエンタメ作品としてはなかなか楽しめるかと思います。
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Author:星猫
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